創立百周年記念事業:展示会

応用化学科の創立百周年を記念し、本学図書館の協力を得て「江戸後期、知の探究者たちが切り拓いた世界」と題した展示会を早稲田大学総合学術情報センター2階展示室にて開催致しました。出陳した資料は、重要文化財をいくつも含む“お宝”とも言うべき本学所有の古典籍や物品類で、学内外の多くのお客様にご来室をいただきご堪能いただけたものと思います。ご説明用の解説目録は青色地のもので、キャプション説明も併せて応用化学科の立場からの情報も盛り込みました。より詳細な展示品を掲載した図録は2018年春に刊行予定の応用化学科百年誌(仮題)に掲載する予定です。展示室に掲げました百周年記念事業実行委員会からの「ご挨拶」ならびに展示会の「歴史的背景」を下記に示します。

ごあいさつ

ちょうど100年前の1917(大正6)年9月、早稲田大学理工科応用化学科が授業を開始致しました。工学系の化学の学科としては東京帝国大学、東京高等工業学校(現・東工大)のそれと並び先駆的な創設でした。実験室は現在の早稲田大学本部キャンパス内に建設され、銘板に書かれた「豊眀會記念應用化學實驗室」の文字は6号館の入り口に今でも見ることができます。

一方、本学図書館には、文理交流という伝統を背景として、わが国の科学の発展に大きく貢献した江戸期の蘭学・洋学の資料が数多く保管されています。わが国初の化学の体系書である『舎密開宗(せいみかいそう)』(1837年、宇田川榕菴訳出)とその関連資料や日本の化学工業の先駆者である宇都宮三郎の資料などは、特に日本化学会から化学遺産として認定されています。

このたび応用化学科創立百周年を記念し、化学を中心として蘭和辞典、医学、解剖学、物理学、天文学、植物学、薬学、数学から音楽に至るまで、主として江戸後期に刊行された「わが国初」と言える貴重な逸品の数々を一堂に集め展示することと致しました。またシーボルトが宇田川榕菴に贈ったとされるオランダ製グライヘン型顕微鏡や宇田川家に伝わる薬品瓶や天秤といった実験器具など書籍以外の展示も合わせて行います。我が国の科学の黎明期における先人たちの知恵と努力の結晶をぜひともご覧いただければ幸いです。

2017年10月5日

早稲田大学先進理工学部応用化学科創立百周年記念事業実行委員会

早稲田大学図書館

 

はじめに(歴史的背景)

日本が最初に西洋の“人”と“もの”に接した例としては、諸説あるものの、種子島に漂着した中国船に乗っていたポルトガル人と鉄砲の伝来(1543)が有名である1)

1492年のコロンブスの新大陸発見により、西洋諸国においては遠洋航海時代が一層盛んになり、アジアにも影響が及んだ。その後、ザビエルが来日し(1549)、キリスト教を伝えるなどし、当初はスペイン、ポルトガルを中心とした来航者(南蛮人と称す)から南蛮文化が導入されていった。

続いて、イギリス、フランス、オランダといった後発国の海外進出も盛んになり、先行していたスペインやポルトガルを凌駕するようになった。日本にもオランダの商船リーフデ号の漂着(1600)をきっかけにして、オランダの文化が伝わることとなり、ついに徳川幕府と通商を開始(1609)、“平戸”に商館を建設することとなった。

西欧人の来航に伴いキリスト教の布教活動が盛んになったが、時の権力者たちが次第にこれを嫌うようになり、豊臣秀吉による伴天連追放令(1587)、江戸幕府によるキリスト教禁止令(1612)などの諸施策がなされた。それらも相俟って、イギリス、スペイン、ポルトガルなどが日本を引き払う事態となり、ついには通商に関しては、布教はしないと約束をしたオランダと清国のみが許されることとなった(1639)。これがいわゆる鎖国状態と言われているものである。

鎖国下において、オランダ、李氏朝鮮、琉球王国、アイヌの民との交易が限定されたところで行われた。特にオランダとの交易は長崎の幕府直轄地である人工島の“出島”を拠点とすることになった。オランダ商館付きの医師などによって、出入りする通詞(通訳)らに医術などの新たな学問の情報がもたらされたものの、すぐには体系的なものにはならなかった。

洋学の始まりと考えられる事象として、江戸時代、八代将軍吉宗がキリスト教に関係しない洋書の輸入を許したこと(1720)、甘藷(サツマイモ)による飢饉の回避で有名な青木昆陽らにオランダ語を習うことを命じたこと(1740)が挙げられている2)。青木の弟子には前野良沢がおり、まさに蘭学の祖とも言える人物である。本学図書館には、幕府に献上され、後に将軍吉宗の目にとまり蘭学発展の契機となったドドネウスの『草木譜』(蘭学者石井当光訳)の翻訳本もある。

こうして、オランダ語を通じ、西洋の学術文化や外国事情に関して研究が進み、「蘭学」という言葉が生まれ、江戸中期には、中国医学を基礎とした「漢方」に対して「蘭方」という西洋医学が導入されることとなった。この他、天文学、植物学、物理学、化学などの自然科学から人文科学や軍事技術に至るまで、多くの西洋文明に関わる情報がもたらされ発展することとなった。しかし、幕府の体制を維持する思想を支える儒学者や漢方医などによる洋学者、蘭方医などへの弾圧は継続的に行われており、ついにシーボルト事件(1828)が発生した。オランダ商館付医師であったシーボルトの帰国に際し、乗船予定の船が座礁した際に、多数の禁制品の積荷が見つかったことを契機に天文方筆頭高橋景保が獄死するなど五十数人が逮捕処罰されるに至った。さらに医学とは別の分野で国学者との対立が深刻化し、蛮社の獄(1839)という洋学・蘭学に対する弾圧事件が発生、高野長英、渡辺崋山らが処罰されるという悲劇が起こった。しかしながら、幕末にかけて儒学の派である陽明学派が身分を超えた平等性を主張、次第に幕府と対立するようになり、ついには尊王攘夷運動につながっていくという歴史上の皮肉な流れは食い止められなかった。

このような弾圧は数々あったものの、洋学・蘭学はその優れた内実をもとに着実に各界において地位を確保し、広く皆の認めるところとなっていった。明治期から大正、昭和に続く科学技術の発展展開はこのような経緯で進められ、一朝一夕に成り立ったものではなく、先人の労苦に負うところが大きい。

 

今回の展示会で展示する書籍は、こうした時代背景のもと、まだ洋学者、蘭学者が不安定な立場に置かれ、辛く厳しい状態にいるところからスタートをする。やがてこれらの書籍は、日本に近代的な科学の情報と知識、手法や技術、そして思考法をもたらし、その後の日本が急速に科学立国に突き進む最初の扉を開ける原動力となった。今回の展示会では特に「我が国で初の〇〇」というテーマにできるだけ目を向けてみた。実際には異論・異説もあり、にわかには断じがたいものもあるが、ぜひご来訪の皆様にはご自身の目で科学の揺籃期の息吹を確かめ感じていただければ幸いである。

 

そして、今一つ重要なことは、当時の蘭学者は、単なる翻訳者ではなかったことである。彼らは、幅広い分野に関する好奇心と語学の才を傾け、実証の精神を以て未知なる学問の深淵に迫り、時には命をかけ、艱難辛苦を乗り越え訳語を編み出しながら訳本を成立させていった。我々が今日でも使用している科学用語の多くが翻訳という作業から生まれており、それぞれに深い意味が込められている。そうした先人の思いを少しでもお伝えできるならば幸いである。

  1. 鐵炮記、南浦文之(玄昌)編纂(1606)、『南浦文集』に所収。その後、増修洋人日本探検年表、岩波書店、栃内曽次郎 編、159頁、昭和4年に掲載
  2. 洋学者宇田川家のひとびと、水田楽男、岡山文庫174、日本文教出版、1995

 

出陳した書籍、物品

1 蘭学事始 杉田玄白 著 天真楼 明治2年(1869) 刊

2 波留麻和解(一名江戸ハルマ)ハルマ 原著 稲村三伯 訳編 大槻玄沢 序(自筆)

宇田川玄真 凡例(自筆)寛政11年(1799) 序 重要文化財

3 芝蘭堂新元会図 市川岳山 画 大槻玄沢ほか 賛 寛政6年(1795)重要文化財

4 火浣布略説 平賀源内 編輯 中島貞叔 中島永貞 校 柏原屋清右衛門 明和2年(1765) 序

5 火浣布 平賀源内製作

6 東都薬品会ちらし 平賀源内 撰 宝暦11年(1761) 刊

7 遠西医方名物考 宇田川玄真 訳述 宇田川榕菴 校補 青藜閣 文政5年(1822) 序

8 遠西医方名物考補遺 宇田川玄真 訳述 宇田川榕菴 校補 青藜閣 出版年不明

9 蘭学者相撲見立番付 写 寛政10年(1798)松平斉民 収集『芸海余波』より

10 ヒポクラテス画像 宇田川榕菴 写 書写年不明

11 植学啓原 宇田川榕菴 著 天保4年(1833) 序

12 日本化学会化学遺産認定証

13 舎密開宗.内編 賢理 原著 宇田川榕菴 重訳増註 青藜閣 天保8年(1837) 刊

舎密開宗. ,外篇 賢理 原著 宇田川榕菴 重訳増註 青藜閣 天保8年(1837)刊

14 Chemie, voor, beginnende liefhebbers of aanleiding D. William Henry 著 Minamoto Akila 写 書写年不明

15 海上砲術全書図 カルデン 撰 宇田川榕菴 訳 書写年不明

16 舎密開宗続訳消石説 宇田川榕菴 編 写(自筆) 天保14年(1843)

17 博物語彙 宇田川榕菴 編 写(自筆) 書写年不明

18 芸海余波 松平斉民 収集

19 雪華図説 源利位 撰       愛日軒 天保3年(1832)跋

20 化学通 川本幸民 訳述 山城屋佐兵衛 明治4年(1871) 刊

21 ポトカラヒイ 宇田川興斎 撰 写(自筆) 書写年不明

22 舎密局必携 前篇 伊勢屋治兵衛 上野彦馬 抄訳 文久2年(1862) 刊

23 写真鏡図説 ダグロン 原著 柳河春三 訳述 上州屋総七 慶応3-明治元年(1867-1868) 刊

24 鉱泉試検法 宇都宮三郎 撰 写 書写年不明

25 化学書染物の事 宇都宮三郎 撰 写(自筆) 書写年不明

26 化学方程式 宇都宮三郎 撰 写(自筆) 書写年不明

27 元素記号表 桂川甫周 撰 写(自筆) 書写年不明

28 ラテン語薬品名 桂川甫周 撰 写(自筆) 書写年不明

29 化学器械図説 三崎嘯輔 訳 観先塾 明治5年(1872)刊

30 ものわりのはしご とますていと 撰 しみづうさぶろう 訳 河内屋文助 明治7年(1874) 刊

31 化学便蒙 宇田川準一 訳述 写(自筆) 慶応4年(1868) 序

32 顕微鏡

33 Natuurkundige uitspanningen, behelzende eene beschrijving, van meer dan vier hondert planten en insekten, keurig naar het leven afgebeeld Baster, Job 著

34 伊藤圭介・シーボルト画像外 伊藤篤太郎 写 書写年不明

35 シーボルト医学証明書 岡泰安宛 シーボルト撰 1827年3月2日

36 ヒポクラテス像並賛 桂川甫賢 写并題 写(自筆) 文化13年(1816)

37 暦象新書 奇児 著 志筑忠雄 訳 書写年不明

38 気海観瀾 青地林宗 述 篠田元順 校 瑪蜂 臨写 芳滸園 文政10年(1827) 序

39 気海観瀾広義 ボイス 著 川本幸民 訳述 和泉屋吉兵衛 嘉永4-安政4年(1851-1857)刊

40 蔵志 山脇尚徳 著 山脇侃 校 養寿院 宝暦9年(1759)跋

41 内科撰要 我爾徳児 著 宇田川玄随 訳 須原屋市兵衛 寛政8-9年(1796-1797)刊

42 医範提綱 宇田川玄真 訳述 諏訪俊 筆記 青藜閣 文化2年(1805) 序

43 医範提綱内象銅版図 宇田川玄真 編 藤井方亭 亜欧堂 鐫 風雲堂 文化5年(1808) 刊

44 眼科新書 不冷吉 撰 不路乙斯 重訂 杉田立卿 訳述 河内屋茂兵衛 文化12年(1815) 序

45 新訂増補和蘭薬鏡 宇田川榛斎 訳述 宇田川榕菴 校補 青藜閣 文政11年(1828)序

46 重訂解体新書 並図編 大槻玄沢 自筆 重要文化財

47 幼幼精義 扶歇蘭度 原本 薩窟設 翻訳 堀内寛 重訳 青藜閣 天保14年(1843) 序 嘉永元年(1848) 跋

48 塵劫記 吉田光由 撰 杉田玄与 寛永4年(1627) 序

49 大西楽律考 宇田川榕菴 訳編 写(自筆)

50 宇田川榕菴楽律研究資料 宇田川榕菴 編 写(自筆)

51 薬品箱・薬品類

52 厚生新編 ショメール 編 馬場貞由 訳 大槻玄沢参校 写 書写年不明 重要文化財

(応用化学科創立百周年記念事業委員会)

知識としての化学だけでは終わらない。
使える化学を学んで、鍛え上げられた人材に。